TOP 潜在看護職の復職・プラチナナースの活躍 看護部と自分自身の成長。両方を実感できる喜び

看護部と自分自身の成長。両方を実感できる喜び

40年以上にわたり臨床と教育に力を注ぎ、看護一筋の人生を送るM.Hさん。定年後も今まで培ってきた経験を活かし、看護管理者として患者さんや看護師を支え続けています。今回は現在60代のM.Hさんが、新たに挑戦している看護部改革についてお話を伺いました。

看護管理者として新たなフィールドに挑戦

私の母から聞いたのですが、私は小学生の頃に学校の図書館でナイチンゲールの本に出会い、それから「ナイチンゲールになりたい」と言うようになったそうです。子どもの頃の夢が叶って看護師となり、60歳を過ぎてもなお看護の仕事に携わり、まさに看護一色の人生を送ってきました。2020年3月に千葉県木更津市にある君津中央病院附属看護学校の副学校長を退職したのですが、そのときは「もう定年退職する年代だし、今まで十分に働いたから、これからはゆっくり過ごしてもいいかな…」。という気持ちも芽生えていました。しかし千葉県看護連盟の大先輩から、千葉県茂原市の菅原病院の看護部長を引き受けてほしいと打診があり、それを受けるべきか1ヶ月ほど悩みましたね。その理由は、のんびり暮らしたいと思っていたからではなく、当時は新型コロナウイルス感染症が蔓延していた時期ですから、私が臨床現場でできることは何かという悩みでしたね。あれこれ考えていくうちに、自分には臨床で培ってきた看護実践や看護管理の経験があることや、看護学校で看護実践者を育ててきた経験などが、個人病院でも役に立つのではないかと思い始めるようになりました。そして、2020年4月から菅原病院に看護部長として勤務することになります。

看護部長に就任するにあたり、もちろん不安はありました。現在の菅原病院は62床。勤務する看護職の割合は、准看護師が約40%を占めています。また、個人病院ということもあり、組織や看護について深く学ぶ機会が少なかったことが、現場の様子からも見て取れました。今まで大きな病院での看護実践や看護管理しか経験したことがなかった私にとって、その環境の違いに戸惑いました。今までとは異なる環境下で、はたして自分に看護部長の職務が務まるのだろうかと、就任当初は不安と焦りを感じましたね。しかし、覚悟を決めて「今まで以上に看護の質を担保し、看護の成果を出すための看護部改革」に乗り出しました。まずは看護部の理念や方針、2020年度の目標を明確にすることから始めました。そして、設定された今年度の目標を達成するために、看護部としてどうするかという具体策を、師長や主任と共に考えていきました。

M.Hさん仕事イメージ
M.Hさん仕事イメージ

「他人ではなく自分が変わる」をモットーに

看護部改革に向けたさまざまな取り組みの1つにチームナーシングの推進があります。機能別看護からチームナーシングに変更し、24時間を通して看護に責任を持つための仕組みを構築していきました。誰だって、長年行ってきた看護方式の方が楽ですよね。でも、初めは戸惑っていた看護師も、徐々にチームナーシングに慣れていくことができ、今まで以上に「患者さんにしてあげたい」という主体性が出てきています。当院に入院している患者さんの平均年齢は84歳です。超高齢の患者さんたちが楽しめることを考え、塗り絵の時間を設けたり、紙でクリスマスツリーを作ったりと、患者さんが少しでも彩りのある入院生活になるように工夫を重ねています。当院の看護部が日々成長を続けていることを実感でき、私としてはとても嬉しく、看護管理の仕事にやりがいを感じます。看護師や准看護師の多くは、人のお世話をしたいという想いがあるから、資格を取って働いているんです。ですから看護職の皆さんには改めて「看護とは何か」、「患者さんがその人らしい生活を送るために、私たちは何ができるのか」を考えてほしいと思いますね。

私は40代の頃に看護研修学校で管理と看護基礎教育を学び、その後、教育者としての道を歩んでいくことになるのですが、そのきっかけとなったのが、当時の看護部長の存在でした。私自身は真面目な性格ということもあって、人一倍頑張ってきたという自負があったのですが、その看護部長は容易に私の仕事ぶりを認めてくれることはありませんでした。今思い返すと、当時の私は承認欲求が高くて傲慢だったのかもしれませんが、どんなに頑張っても認めてもらえないと悩みながら、もし自分が看護管理者だったらどうするかという視点も持つようになりました。過去と他人は変えられない。ならば、自分自身が変わるしかないと思い、さらに自身のキャリアやスキルを磨くことを決意したんです。その経験があるから今の私がいますし、「自分が変わる」ということは私の核にもなっています。私は今でもさまざまな経験をしながら成長・発達していると感じています。「これからも看護の仕事に真摯に取り組んでいきたい」。そう強く思っています。

プロフィール

看護師歴40年以上。1976年に帝京高等看護学院を卒業後、現在まで1度も休職せずに看護の仕事に携わってきた。帝京大学医学部付属病院や、分院の市原病院(現:帝京大学ちば総合医療センター)で2001年まで勤務。その後、千葉県看護協会の常任理事、聖隷佐倉市民病院の総看護部長、看護学校の副校長を務めるなど豊富な経験を持つ。現在は、地域医療を支える民間病院の看護管理者として、看護職の教育や職場改善などに注力している。