TOP 潜在看護職の復職・プラチナナースの活躍 生きることを支え、共に年輪を重ねることが「寄り添う看護」

生きることを支え、共に年輪を重ねることが「寄り添う看護」

長年にわたり小児医療に携わってきたスペシャリストのM.Tさん。定年後も同病院で看護の仕事を続けています。看護に人生を捧げてきた70代のMさんが考える「患者さんに寄り添うこと」の意味を、患者さんとの温かいエピソードも交えお話しいただきました。

絶対に看護の仕事に戻る 強い想いで自身の病気を克服

37歳のときに看護師になり、それから現在まで滋賀県立小児保健医療センターに勤務しています。2人の子どもはすでに独立し、現在は主人と2人で暮らしていますが、主人の方は趣味を楽しんでいて、優雅な定年生活を送っていますね。私はというと、今は週3日勤務なのですが、家にいるよりも外で働いている方が楽しいです。患者さんやご家族と関わることで、彼らからパワーを貰っているという感覚ですね。まもなく定年という59歳のとき、病院の中に「看護外来」が設立されたのですが、その担当を任されました。看護外来とは、在宅で医療的ケアが必要な患者さんやご家族を支援するのが大きな役割です。そしていよいよ定年が間近に迫ってきたころ、看護部から「もし定年後も仕事を続ける意思があるのであれば、そのまま看護外来を続けてほしい」旨のお話がありました。看護外来を立ち上げてから1年しか経っておらず、軌道に乗せるにはもう少し時間が必要と考えていたので、定年後も今の仕事を継続できるというお話は、とても嬉しかったです。私は定年後もずっと看護の仕事に携わりたいと思っていましたから。

定年後の自分の人生について考える機会が多かった59歳のとき、私に予期せぬ出来事が起こります。それは、乳がんでした。すぐに治療を開始するのですが、3ヶ月間ほどは休職しなくてはなりませんでした。その間は正直、自分の病気よりも、看護外来の方が気になっていました。せっかく看護外来を立ち上げたのに、志半ばで諦めたくはない。早く看護外来を軌道に乗せなくてはという焦りもありました。医師からは、リンパ節にも転移してるだろうと言われていたので、「もしかしたら来年まで自分の命はもたないかもしれない…。ならば、化学療法や手術、放射線治療も終えたら、絶対に職場復帰をして、看護外来を次の世代にバトンタッチしなくては」。そう思ったんです。化学療法のあとに吐き気が収まったら、すぐにウォーキングに出かけるなど、筋力維持のためのトレーニングも頑張りました。今思い返すと、何がなんでも病気を克服して職場復帰するぞという強い想いが、病気に立ち向かえたのかなと思っています。

M.Tさん仕事イメージ
M.Tさん仕事イメージ

患者さんやご家族から教わる「看護の在り方」

現在72歳の私は、看護師として、患者さんとそのご家族のためになることだけを追求する日々を送ることができています。「患者、家族に寄り添う」。その意味というものに、最近やっと気づくことができたのではないかと思っています。当院で働き始めて35年が経ちますが、当院には0歳のときから通院しているお子さんも多いので、患者さんやそのご家族と長期的な関わり方をしています。看護師は、患者さんとご家族が歩いてきた歴史を紐解いていくことが大切だと思っています。よくお母さんたちは「看護師さんは忙しそうだから、あまり話をしてはいけないと思って…」と遠慮されるのですが、そのように看護師がバタバタと仕事をしている姿をお母さんたちに見せていては、いつまで経ってもお母さんたちとの距離は縮まらず、心を開くことはできないと思うんです。「寄り添う看護とは何か」。それは、患者さんやご家族と一緒に病気と向き合いながら、「彼らが生きることを支え、共に年輪を重ねることが、患者に寄り添うこと」ではないかと私は考えています。

ある日、主治医とともに、20代前半で筋疾患の患者さんへ終末期医療のお話をしたことがありました。その患者さんは、かなり心臓に負担がかかっている状態であったので、最後にもしものことがあったらどうするかというお話になったときに、ご本人が「僕は、死亡診断書を先生に書いて欲しいんだ」。と言ったんです。なぜそう思ったのか聞くと、「僕のことを一番分かってくれているのは、この病院なんだ」。そう言いました。この子たちは、頑張って生きてきたことだけではなく、最後の瞬間も私たちに見届けてほしいと思っていて、死亡診断書という名の「人生の卒業証書」が欲しいんだと思ったんです。このことは、私が終末期医療の在り方について深く考えるきっかけを与えてくれました。私が今までイキイキと看護の仕事を続けてこられたのは、人の役に立てているという喜びもありますが、私自身が患者さんやそのご家族から教えられることが多いからかもしれません。これからも、今の私だからできる看護を追及していきたいと思います。

プロフィール

20歳で准看護師の資格を取得後、1,000床ほどの病院で4年間勤務。その後、結婚や2度の出産で5年間ほど看護職を離れていたが、34歳のときに看護師を目指して専門学校へ通い始めた。3年後、37歳で看護師の資格を取り、滋賀県立小児保健医療センターで長年勤めてきた。定年後も同病院で再任用として勤務中。2人の子どもは独立し、現在はご主人と二人暮らし。